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2022.05.22

【事業承継】ストーリーで学ぶ失敗例/武田信玄と武田勝頼

経営相談

コンサルタントをしていますと、幅広い年齢層の経営者とお話する機会があります。
その中でも、60代以降の経営者からは、
跡継ぎ、いわゆる事業承継と相続対策のご質問を数多くいただきます。
コンサル冥利につきます。
事業承継というのは、非常に興味深いテーマです。
事業承継をすることは、これまで事業を牽引してきた経営者にとっては、
ひとつのゴールです。
同時に、後継者にとっては、新たなスタートとなります。
世の中は今、事業承継が花盛りです。
M&A・節税スキーム・事業承継コンサルタント、
セミナーやDMチラシなど、枚挙に暇がありません。
私がコンサルタントとして最も大事にしているのは、
繋ぐ
ということです。
これは事業やお金といった目に見えるものだけではありません、
目に見えないけど大切なもの、すなわち
理念、大切にしたい想い、人、お客様との繋がり
といった目に見えないけど大きな資産を
先代から次世代へ
次世代から次の世代へ
ずっと繋いでいくこと

です。
そのため、
継ぐ
継がせる
という一過性の概念と異なります。
一過性の概念だと、論点がブレてしまうことが多いからです。
お互いの主義主張、利権が色濃く絡み合う、役員や代表者家族の思惑ばかりが先行し、
お客様や従業員は蚊帳の外です。
コンサルの現場でも、そんな修羅場を良く見てきました。
事業承継コンサルなどが入った結果、
・内部分裂を引き起こしたケース
・親族間の思惑が絡み合い、主力従業員がほぼ退職に至ったケース
・投資組合法人のようなものを作ったものの、初年度だけは節税になったが、その後指揮系統が滅茶苦茶になり、グループ全体で斜陽を迎えたケース。
これら全ての失敗に共通する原因は、一過性だからです。
大事なことは、事業を継続すること、未来とこの福島、郡山にこの企業を繋げていくことなのに、
子会社を作ってみたり
投資法人を作ったり
信託組んでみたりと
正直小手先のこねくり回しにしか思えません。
そういった話を郡山、福島県内の身近なところで見聞きして知っているはずなのに、
同じ轍を踏んでしまうのはなぜでしょうか?
やはり、自分事として捉えられない点があると思います。
それは、歴史上の偉人たちも同様でした。
今回は事業承継について、武田家のエピソードから学んでみたいと思います。

平均年齢60.1歳


2021年、帝国データバンクが94万社を対象にした、日本の経営者の平均年齢です。
このぐらいの年齢にもなれば、後継者を決めて、事業承継も視野に入ってくるところですが、社長交代率は3.8%という水準です。
企業コンサルタントをしていると、仕事柄、事業承継の現場に接することもありますが、上手くいかない要因として、2つの共通項があるように感じます。

事業承継が上手くいかない会社に共通する2つの理由


1 大殿(社長)が生涯現役


社長として生涯現役です。肩書きこそ会長、相談役になれど、社内の影響力は絶大です。
社長(後継者)の上から強権発動することもしばしばあります。
大殿の言い分としては、後継者候補に実力がない、頼りない、心配ということがあるのでしょうが、
後継者側も守ってもらっていては、いつまでも実力がつきません。
部下や周囲も後継者ではなく大殿の顔を窺うようになります。
そこで大殿が言いがちなセリフとして、
「俺がいないとやっぱりダメだ」
です。
善意から、現場に降臨し続けます。
それが結果的に悪循環の元となります。
後継者は、いつまでたっても組織を掌握できません。
後継者側にも「あきらめ」のようなものが漂い始めます。
大殿が元気でいるうちは、本当にやりたいことができない。
経験も試すことができない。
無意識のうちに、大殿の体調悪化や死去を望むようになってしまいます。
家族として、こんなに悲しいことはありません。

2 後継者を決めてない

これは、後継者であることを公言していないことも含みます。
会社を子供に継がせるとは言ったものの、
・社員や現幹部、取引先に周知していていない
・社長仕事を任せていない
・財務状況を教えていない

というケースもあります。
ぴったりなエピソードがありますので、現代風に置き換えてケースとして学んでみたいと思います。

武田家


山梨県甲府市に本社を置く18代続く名門企業。
周辺地域の中心的存在であり、名門一家。

武田信玄(現社長)


18代目。
21歳の時に前社長(信虎)を追放。
以来、社長に就任すると、
営業(武力)と権謀術数を武器に隣県(長野、静岡、群馬、岐阜)へ積極的に進出。
会社始まって以来の最大シェアを獲得する。
人心掌握マネジメントにも長け、
人は堀
人は石垣
人は石垣
の名言も残す。

武田四郎勝頼(四男)

19代目(仮)。
常務取締役。
母方の実家のコネクションをフル活用し、諏訪衆というプロジェクトチームを率いて各地を転戦。
長男、次男、三男は経営にタッチできない状況であることから、次期社長と目される。
一説には信玄よりも戦(営業)の才能はあったとされ、突破力もピカ一。

ストーリー

1 きっかけは社長の去就

全国シェアを狙うべく、信玄(社長)は西上作戦を発動します。
この頃、全国で大きなシェアを持っていたのは、織田信長。
そして、協力企業の徳川家康がいます。
シェアが大きいとはいえ、人口が多い地域の商売と少ない地域の商売では勝手が違います。
(食べログ点数3.5でも、都会の3.5と地方の3.5とでは明らかに味が違うのと同じ現象。)
人口が少ない地域で鎬を削ってきた武田勢の営業力、
商品力は凄まじく、徳川があっという間にボロ負けします。
最大シェアの織田も滅亡を覚悟するなど、
武田マークが全国区になるかと思われたその時、歴史は動きます。
社長の容体が急変します。
胃癌だったようですが、そのまま社長は帰らぬ人となってしまいました。

2 人は城?同一人物とは思えない後継対策

社長は今際の際でも、後継者をはっきり決めていませんでした(甲陽軍鑑より)。
遺言では
・自分は死んでないことにする(登記はそのままに)
・社長は孫(6歳)。成人したら代表取締役登記すること。
・勝頼(四男)は取締役のまま。孫が成人するまでの後見補佐役。
・勝頼の肩書は陣代(社長代理補佐心得兼取締役)とする。
・当面はライバル企業の上杉謙信を頼るように。奴は正義感に溢れた良い漢だから大丈夫。

と伝えています。
社員数5万人とも云われるグループ企業のトップの遺言です。
信玄公は、
人は城
人は石垣
人は堀

と言われる名言を残すほど、人心掌握に長けた名君でしたが、
同一人物とは思えないほどの後継対策です。
後継の勝頼としては、非常に苦しい状況に立たされたことでしょう。
とくに、最後の上杉謙信評は完全に信玄目線での評価です。
これは特に、法人の代表者同士のおつきあいに似ています。
同じ世代、同じ時代を駆けた社長同士なら、シンパシーがあり、育んできた関係性があるでしょうが、
それはその社長だけのものです。
その子に関係性が100%引き継がれるわけではないはずです。
社長同士の付き合いの中でも、いきなり息子を連れてきて、明日からよろしくと言われても、
先代社長と同じ関係を築けるかというと、ある程度はできても限界があると思います。
謙信と信玄の関係性においてはお互いに良いライバル関係なのですが、
謙信と勝頼の関係性においてはそうではないはずです。
これでは、遺された方はたまったものではありません。

3 崩壊への歯車

まず、遺された勝頼は奮闘します。
父親を超えるべく、積極的に他エリア(愛知、浜松、静岡)への進出を繰り返します。
持ち前の営業力をフル活用し、一時期は先代のシェアを超えることに成功します。
もちろん社内には、この状態を危惧する声もあります。
先代についてきた、生え抜きの幹部、関連企業たち。
まずは、勝頼を中心に武田として一枚岩となることを進め、内部留保を高めることを提案します。
外に出るより、まずは中を固めてからという尤もな声です。
拡大路線の勝頼を諫めようとしますが、
その頃には勝頼派ともいえる若手取り巻きが出来ていました。
しかも、勝頼の代から連戦連勝、負け知らずですから勢い十分です。
彼らは、慎重戦略を提案する譜代幹部たちを年寄と一蹴し、勝頼から遠ざけていきます。

4 そして歴史は動く


拡大路線で勢力を拡大してきた勝頼ですが、その状態を冷静に観察してきたライバル企業がいました。織田信長と徳川家康です。
先代にこっぴどくやられた信長と家康は、
次の代のボンボンの頃にシェアを奪回してやろうと意気込んでいました。
さらに、勝頼の拡大路線は、実は焦りの裏返しであることを見抜いていました。
若手と古株の間で割れていることもわかっていました。
このチャンスを逃さない彼らではありません。
念には念を入れて、勝頼の3倍以上の戦力を以って、決戦に挑みます。
そして結果は史実のとおりです。
国内最強と云われ、武田の至宝と言われたベテランや優秀社員たちは、織田・徳川が作り上げたシステムの前に完膚なきまでに敗北しました。
勝頼のやりたいようにやらせ、甘やかしてきたのは我々の失敗と、
先代以来の幹部たちも、責任をとって悉く討ち死にします。
先代が何十年にもわたり築き上げた人、モノ、名声は1日で消失します。

5 そして誰もいなくなった

歴史的勝利を収めても、信長も家康も、武田のシェア奪いには動きませんでした。
ここまでくれば、放っといても武田が自壊すると見ていたからです。
読み通り、武田の凋落がはじまります。
武田からは、櫛の歯が抜け落ちるように、また1人、また1人と社員が去っていきます。
長年に渡って歩んできた協力企業(木曾)も、
ライバルの信長、家康傘下に入り、シェアが縮小していきます。
一部生き残りのエースたち(高坂弾正、真田)もいましたが、既に少数派意見です。
勝頼側近の大きな声に封殺されていきます。
その後は求心力を得ようと大きな箱物(新府城)を作ろうとしますが、結局上手く行きません。
親類の穴山梅雪には静岡エリアごと徳川に事業譲渡されるなど、
本店の山梨県エリアまで追い込まれてしまいました。
最後には幹部(小山田信茂)にも裏切られ、天目山にて最期を迎えます。
これにより、18代目、19代目にして最大シェアを誇った武田は、
急転直下、滅亡してしまいました。

ときは流れて令和

武田家のケースで見てきましたが、如何でしたでしょうか?
・商品力に強み
・ベテランで優秀な社員が多数所属
・協力企業の層が厚い
・エリアの名門企業
・飛ぶ鳥を落とす勢い

だったとしても、方向性が定まっていなければ、
あっという間に凋落する例をお伝えしました。

まとめ


1 大殿(社長)は元気なうちに引退

徐々に権限を委譲するのがポイントです。
これは社長だけの問題ではありません。
同年代の幹部も同様です。
後継社長含め若手幹部の育成、権限移譲が必要です。
そしてそれは社長や幹部の目の黒いうちがベストです。
若いがゆえに、失敗することもあるでしょう。
敢えて失敗させて、フォローする。
目の黒いうちならいくらでも立て直しができます。

失敗は成功の母。得難い経験をさせることができます。
亡くなってしまったり、体力が落ちてしまった状態で引退したら、
その後の若手失敗という経営の谷に耐えられません。


2 後継者を内外に知らしめる


ライバル企業や独立の機会を狙っている従業員にとって、後継者を決めていないという状況は、チャンス以外の何物でもありません。
後継者を決めたとしても、全てを掌握するには時間がかかります。
内部での人間関係のほか、取引先が今までと同様についてくるとは限りません。
契約内容が改悪されることもあり得るでしょう。
そして、後継者本人に自覚がないということもあります。
このままでは、ライバルたちの養分まっしぐらです。
・内外に公示すること
・後継者(候補)に財務内容を開示すること
・マイルストーンとスケジュールを決めること

は、戦略的に行う必要があります。

おわりに

日ノ本最強と謳われ、栄華を誇った武田家ですら、後継者の失敗で凋落しました。
後の世に暮らす我々は、これを教訓として、行動に落とし込むことが大事です。

記事執筆


株式会社トライアンドエラー 税理士 代表取締役 遠藤 光寛(えんどう みつひろ)
1981年生まれ 山形県出身
2000年仙台国税局採用 福島県内税務署を中心に18年間勤務。
2018年税理士事務所を設立。国税時代から法人個人含め延べ約30万件超の財務経営コンサルティングに携わる。
現在は株式会社トライアンドエラー 税理士兼代表取締役社長として、福島県郡山市の企業を中心に財務経営コンサルタントとして活動中。

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